迷惑をかけることと、かけられること

昔から考えていたことに、なぜ人は「人から受ける迷惑に対しては敏感」で、「人にかける迷惑に対しては鈍感」なのか、ということがありました。満員電車の中でよく見かけるのが、「人に寄りかかる」ことには何も抵抗はなく、「人に寄りかかられる」と怒り出す人です。

で、一つの仮説を考えました。これら二つのことは、ずっと表裏一体だと考えていて有名な言葉、「自分がいやなことは人もいやなんだ」ということになぜ気づかないんだと思っていたのですが、実は、この二つは、全く別のことととらえられているのではないか、ということです。

たとえば、ある人が満員電車で「人に寄りかかる」というのは、もうその人の中で自然の行為となっていて、行為自身が当たり前ととらえられていたとします。人に迷惑をかけているなんてことは微塵も思っていません。なので、寄りかかっていた人が避けたり押し返してきたりすると、「怒る」、「びっくりする」といった感情を返します。「怒る」場合は、寄りかかられた方から見れば、「逆ギレ」に見えますが、当人は当たり前の行為を阻害されたので「マジギレ」しているわけです。なんかこういった風景ってよく見ませんか?

これに対して「人に寄りかかられる」と、迷惑をかけられているとその人はとらえますので怒り出します。しかし、「人に寄りかかる」行為の裏返しの行為にもかかわらず、全く別のことととらえているので、自分が「人に寄りかかる」行為の反省にはつながりません。単純に迷惑をかけられたことを怒るだけです。

こういった人たちには「人の振り見て我が身を直せ」とか、先ほどの「自分がいやなことは人もいやなんだ」という話は通じません、全く別物ととらえているのですから。

一生結論に達することはないと思いますが、今時点で思いついたこと、メモとして残しておきます。

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